八ヶ岳南麓 ~お山にて

八ヶ岳南麓、山梨県北杜市と東京を行ったり来たり。自然に恵まれたお山の生活はスリリングです!

1日オフだったあの日・・。

1日オフだった・・。

今日ではなく7年前のあの日。

 

当時は今より毎日忙しくて

あの日は1か月ぶりくらいのオフ。

どこかへ出かけたい気持ちはあるものの

疲れていたので家でゆっくりしてました。

 

東京は震度5の揺れ。

 

すぐに固定電話で

実家や親しい友人に連絡。

普通に通話出来て安否がわかり一安心。

その後の度重なる余震。

そのうち固定電話も

まったくつながらなくなりました。

 

幸い停電、断水はなかったけれど

ガスが止まり、そのたびに自分で復旧させるも

数分後にはまた揺れて止まる。

それの繰り返し。

そのうちあきらめて

ダウンジャケット着込んで凌ぎました。

 

3月なのにとても寒い日でした。

 

家に食料備蓄はしてましたが

これは非常事態、長引くかも?

万が一足りなくならないようにと

コンビニへ行き、おにぎりを2つ、

パンをいくつかと

ペットボトルの水を2本買いました。

まだ棚が空っぽではなかったですが、

すでに乾電池などはなくなっていました。

 

リアルタイムで報道ヘリが

現地から流すTV映像。

ずっと泣きながら見ていました。

 

大震災翌日、ドイツ在住の親友から

安否を尋ねるメッセージが来ました。

そして、こんなニュースがドイツで流れていると

アメリカの研究者が作成した

サイトのリンクを貼ってくれていました。

震災当日の福島原発付近の

風向きを示した地図。

その後の報道でも

まったく知らされない事実。

 

それから2週間ほどの間

ずっと家で過ごし、

24時間TVとPCをつけっぱなし。

 

久しぶりの新宿でのこと。

だいぶ暗めな街の灯りに

「昭和の頃はこんなだったなぁ~」と

懐かしい思いにとらわれました。

キラキラと明るく街を照らす電力は

本当に必要なのかな~?という思い。

 

東京という

被災地から離れた場所での

ひとりひとりの中にある記憶。

 

ずっと忘れずに

震災、被災地のことを

記憶に残さなければいけません。

 

被災に遭われた方が

一日も早く心休まる生活を

送ることができますように

お祈り申し上げます。